「ロベルタ ディ カメリーノ」の創業者であるジュリアーナ・カメリーノの人生を振り返る本連載。第3回目となる今回は、誕生したばかりのロベルタ ディ カメリーノが大きく飛躍するまでをご紹介します。
老舗ベルベット工房、ベヴィラクアとの出会い
ジュリアーナのバッグを買い付けにヴェネツィアを訪れた高級百貨店のオーナー、スタンレー・マーカスは、有名なベルベット工房べヴィラクアを訪ねてみたい、とジュリアーナに相談します。「イブニングドレスのための新しい生地を見つけたいんだ。伝統的なヴェネツィアのベルベットならいけるんじゃないかな」。こうして、ジュリアーナとマーカスは、ヴェネツィアで最も歴史あるベヴィラクアの工房を訪ねることになりました。当時ベヴィラクアは、ほとんどヴァチカンのためだけに仕事をしていました。ごく古い工房は、100年前とほぼ変わらぬ姿。ベルベット作りは暗闇の中での作業です。織り上げる絹糸の上に灯る小さな明かりに照らされた工房は、まるで秘密が詰まった洞窟のようでした。3人の職人が1台の織機を操り、静けさの中、桁が当たる柔らかな音だけが響いています。その荘厳な雰囲気にすっかり魅了されたマーカスですが、彼の審美眼が狂うことはありません。「本当に美しいベルベットだが、ドレスには適さない。ただ、もしかすると…。」その瞬間、ジュリアーナの頭の中にアイデアが閃きました。「この素材で、バッグを作ったら?」
バッグの歴史を変えた、バゴンギの誕生
これが私の道になるだろう。神秘的なベヴィラクアのベルベットでバッグを作るというアイデアを思いついたとき、ジュリアーナはそう直感しました。濃い青、くすんだ赤、そして濃緑色。すばらしい組み合わせです。それからというもの、まったく新しいこの素材を活かすため、ジュリアーナはスケッチを描き続けました。ミニマルな医者の鞄、そして宝石箱をインスピレーションの源に、思うがままに筆を滑らせます。小さな留め金。ベルト。ベルトループ。書き上げたスケッチを見ながら、ジュリアーナはふと、自問します。これではバッグが重くなりすぎてしまうのでは?そのとき、ふいに次のアイデアが浮かびます。留め金もベルトもその他のパーツも、すべてベルベットの柄として織り込んでもらってどうだろう。バッグのための特別なベルベットを織ってもらうのです。パーツはすべて付いている、ただし騙し絵(トロンプ・ルイユ)として。それは、まさにジュリアーナが探していた「新しさ」でした。工房のオーナー、ベヴィラクアはジュリアーナの話を聞き、デザインをじっくり眺めると、小声で言いました。「こんなことは、今まで誰もやったことがないぞ…。」そして職人たちを大声で呼びました。「おーい、こっちへ来て見てみろ!」。入念に真鍮の口金を付け、最初のベルベットのバッグを仕上げると、ジュリアーナは震える手でペンとインク壺を引き寄せ、書き始めました。「親愛なるスタンレー…」。スタンレー・マーカスからは、すぐに200文字もある電報が届きました。目眩がするような大量のオーダー。後にモナコ王妃グレース・ケリーをはじめとして多くのセレブリティに愛された「バゴンギ」は、こうして誕生しました。1950年ごろのことです。
ファッションの新時代を切り開いたイラスト・ニット
ジュリアーナがバッグ作りをはじめた当時、バッグやその他の服飾アクセサリーは、あくまで洋服を引き立てるための添え物でした。彼女は、服飾アクセサリーはそんな境遇から抜け出して主役になる権利があるという信念を持っていました。そしてロベルタのバッグの人気が、その信念の正しさを何よりも証明していました。ジュリアーナの豊かなイマジネーションは、やがて服飾小物、そして服へとその領域を広げていきます。かつて服は、顧客が仕立屋に作らせるものでした。でも時代は変わり、小さなボタンの列や背中のホックを止めてくれる侍女たちはもういません。ジュリアーナは、そんな新しい時代のための服は、ただ身体を通せばいいだけのものであるべきだと考えました。ボタン、ベルト、上着やシャツの折り返し。そういったものをすべてその服の上に描いておいてはどうか。ベルベットで作られたバゴンギと同じ、トロンプ・ルイユの手法でした。ロベルタの新しい服は、大成功を収めます。例えば女性が旅に出るとき、旅行カバンにはこれ1枚を入れておくだけ。すべてのものが服の上に美しく描かれているから、アクセサリーを忘れる心配もありません。この新しいプリントニットは、後に多くのファッション・デザイナーに大きな影響を与えました。
1956年のある朝、ジュリアーナに1本の電話がかかってきました。受話器の向こうでは、アメリカのスタンリー・マーカスが奇妙な声を出しています。「ちょっとスタンリー、そっちは今何時?朝の4時でしょう?」「その通り、4時だ。でも君にこれをすぐに伝えたかったんだ。」一瞬の沈黙。「スタンリー、よく聞こえないわ」「ジュリアーナ、効いてくれ。1956年のニーマン・マーカス賞の受賞者が誰か知っているかい?」「ヴェネツィアで、どうしてそんなことが分かるというの?」「じゃあ教えよう。君だよ、ジュリアーナ。委員たちが満場一致で決定した。30分前のことだ。授賞式に来る準備はできているかい?」
ニーマン・マーカス賞は、いわばファッション界のオスカー。最も名誉ある賞のひとつです。予想もしなかったことでした。ジュリアーナは、パリにいる友人、クリスチャン・ディオールに電話します。自身もまたニーマン・マーカス賞の受賞者であるディオールは、電話の向こうで笑いながら言いました。「君に文句を言わないと。私はちょうど1週間の休暇に出かけるところだったのに、パリに残らなければいけなくなったよ。君に、ダラスのレセプション用の服を作りたいんだ。私からのプレゼントだよ」そしてこの受賞が、また新たな出会いへとつながっていきます。